境内散策

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境内散策

散策マップ

本堂
(国指定重要文化財)

境内の中で最も古い建物。元和4年(1618年)山形城主最上氏による再建から400年を経て、桃山時代の様式や重厚な茅葺(かやぶき)屋根を今に伝えています。再建当時裏山に群生していたヒメコマツを使った66本の柱は、日本60余州を表したものといわれています。外陣天井には竜や天女が描かれ、本尊弥勒尊(ほんぞんみろくそん)ほか秘仏33体が内陣の宮殿に安置されています。

薬師堂
(市指定有形文化財)

現在の本堂より500mほど東に東院(とういん・上の寺)として薬師寺及び聞持院(もんじいん)が築造されていました。薬師寺には薬師三尊と十二神将が祀られ、また聞持院には虚空蔵菩薩が安置されていました。薬師寺は零落し聞持院に合併されたものの、江戸時代初め頃までには聞持院も廃寺となり、寛永13年(1636)、薬師三尊と十二神将は現在の本堂近くに移されました。元禄5年(1692)に薬師堂が再建され、今に至ります。

三重塔
(県指定有形文化財)

寺院の塔は、釈迦の遺骨(仏舎利)を祀る墓といわれ、遠くからでも目立つように三重や五重の高い建物が建立されました。慈恩寺の初代三重塔は、慶長13年(1608)に、山形城主最上義光(もがみよしあき)の寄進により建立されました。文政2年(1823)に隣家の火災により類焼し、同13年(1830)に地元の大工棟梁布川文五郎(ぬのかわぶんごろう)によって再建されました。塔の中には、布川文五郎が奈良、京都で技術を学び、一山に戻って造ったという現三重塔の10分の1の模型が保存されています。

阿弥陀堂
(市指定有形文化財)

現在の御堂は、元禄8年(1695)に再興されたもので、常行堂(じょうぎょうどう)として建立され、常行三昧(じょうぎょうざんまい・阿弥陀如来の周囲を念仏を唱えつつ歩く行)の行が修された御堂です。天仁元年(1108)築造時は阿弥陀三尊像が安置されていたと伝えられています。

釈迦堂
(市指定有形文化財)

天仁元年(1108)の鳥羽上皇の勅宣による再興時に新造され、上皇より下賜された釈迦三尊・十羅刹女及び一切経(仏の教えを全部お経にしたもの)5千巻余が安置されていたと伝えられています。この釈迦如来は、大正4年(1915)の国宝指定の際に印相(仏像の手指の形)から阿弥陀如来と認定され、以後阿弥陀堂の本尊として安置されていましたが、平成30年に再び釈迦如来に名称変更されました。また、下賜された一切経は保元2年(1157)の火災で一部焼失し、これを補うため写経事業が始められたと考えられていますが、現在は一巻も残されておらず、宮城県名取新宮文殊堂に121巻所蔵されていることが昭和53〜54(1978〜1979)の調査で分かりました。

天台智者大師堂
(市指定有形文化財)

この御堂には天台宗の祖・智據覆舛)が祀られており、毎年11月には最上院関係の方々により天台大師講が行われています。天台宗は、中国の南北朝時代の僧・智擇砲茲衙_攘个鮹羶瓦箸靴導領された教えです。日本には、明治の廃仏毀釈によって仏像が処分されたという歴史があります。寒河江川には処分されたと思われる木像が流れ着き、拾った方々が処分に困り、慈恩寺に持ち込まれたものが今でもこの御堂に保管されています。

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